富永有隣は富永七郎右衛門の長男に生まれ、
幼少時に天然痘で右目を失明したという。
藩校明倫館に学んた後に藩に出仕し、
小姓役から配膳役へと進みますが、
偏屈な性格が災いして見島へ配流。… 続きを読む
山口県熊毛郡 富永有隣墓所
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富永有隣は富永七郎右衛門の長男に生まれ、
幼少時に天然痘で右目を失明したという。
藩校明倫館に学んた後に藩に出仕し、
小姓役から配膳役へと進みますが、
偏屈な性格が災いして見島へ配流。… 続きを読む
常安寺は周南市大河内の曹洞宗寺院。
大河内領主粟屋家の開基とされますが、
詳しい縁起はわかりません。
「常安寺」。
山奥にありながら立派なお寺で、
綺麗で広い墓地から檀家も多い様子。
虎ヶ岳(標高141m)の登山口でもあり、
多くの人々が訪れるようです。
粟屋家墓所は本堂裏手。
「粟屋家墓所… 続きを読む
吉川元春次男繁沢元氏は阿川毛利家の祖で、
始め仁保隆在の婿養子となり仁保家を相続。
実父元春や兄吉川元長と共に戦い、
多くの戦いで活躍しました。
後に娘たやの婿神田元忠に家督を譲り、… 続きを読む
中山神社境内にある中山忠光の墓所。
中山忠光は北浦での逃避行の後、
田耕にある長瀬の渓谷で殺害され、
綾羅木に運ばれて埋められました。
埋葬地には後に墓碑が建てられ、
その霊を慰める為に中山神社が建立。
現在に至っています。
「藤原忠光卿 神靈」。… 続きを読む
明木宿は赤間関街道中道筋と、
萩往還の宿場町で、
双方の街道が分岐する交通の要所。
参勤道である萩往還最初の宿場であり、
藩主の休憩所の御客屋が置かれ、
後にこれが御茶屋に昇格しています。
「御国廻御行程記 明木」。
明木上市/下市周辺。緑の線が萩往還で、… 続きを読む
萩市街より国道191号線を北へ向かい、
約10km程進んだ大井浦という場所に、
吉見正頼親子の墓があります。
吉見家は津和野の国人領主で、
後の大野毛利家に連なる系譜。
正頼は毛利元就に従って家臣となり、
阿武郡… 続きを読む
楢崎弥八郎は甲子殉難十一烈士のひとり。
東光寺に彼らの墓がありますが、
遺体は善福寺に埋葬されたようです。
「楢崎家先祖合葬墓」。
大組楢崎家の合葬墓。
弥八郎の楢崎家は大組士でしたが、
同じく大組士の楢崎頼三とは別家。
※白虎隊士飯沼定吉… 続きを読む