金戒光明寺墓地の長い石段入口右側に、
津和野藩の藩祖亀井茲矩の墓があります。
「前武州大守中山道月大居士(中央)」。
津和野藩祖亀井茲矩の墓。
茲矩は尼子家家臣湯永綱の長男に生まれ、
同家臣亀井秀綱の次女を娶り、
亀井姓を名乗っています。
尼子家滅亡後に… 続きを読む
京都府京都市 金戒光明寺/亀井茲矩墓所
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金戒光明寺墓地の長い石段入口右側に、
津和野藩の藩祖亀井茲矩の墓があります。
「前武州大守中山道月大居士(中央)」。
津和野藩祖亀井茲矩の墓。
茲矩は尼子家家臣湯永綱の長男に生まれ、
同家臣亀井秀綱の次女を娶り、
亀井姓を名乗っています。
尼子家滅亡後に… 続きを読む
知恩寺は浄土宗の大本山寺院で、
現在は百萬遍知恩寺と称しています。
元弘元年(1331)に疫病が蔓延した際、
知恩寺8世善阿空円が念仏百万遍を行い、
これを鎮めた事から後醍醐天皇より、
[百万遍… 続きを読む
清浄華院にある玉松操の墓所。
玉松は王政復古の詔勅を起草し、
錦旗の意匠を考案した事で知られます。
「贈従三位藤原朝臣真弘卿之墓」。
国学者玉松操の墓。
玉松は公卿山本公弘の二男として生まれ、
醍醐寺無量寿院で出家。
猶海を名乗り… 続きを読む
清浄華院墓地にある姉小路公知の墓所。
姉小路家は平安時代末期、
左大臣三条実房の次男姉小路公宣が、
姉小路家を称したのに始まり、
6代後の室町時代初期に断絶しています。
その後200年以上の時を経て、
慶長18年(1613)に姉小路公景が再興。… 続きを読む
清浄華院は浄土宗の大本山寺院。
貞観2年(860)に慈覚大師円仁が、
清和天皇の勅願で宮中に建立したとされ、
当初は円密浄戒の四宗兼学だったという。
後に浄土宗の開祖法然上人… 続きを読む
大頂寺の宮津市にある浄土宗の寺院。
宮津藩初代京極高知が香華院として建立し、
後に2代京極高広が現在地に移転させ、
正室寿光院、将軍徳川秀忠及び徳川家光、
そして自らの菩提寺としました。
「… 続きを読む
誓願寺は浄土宗西山深草派の総本山。
天智天皇6年(667)に奈良に創建され、
最初は三論宗の寺院だったようですが、
やがて法相宗の興福寺の所有となりました。
清少納言や和泉式部も帰依したようで、… 続きを読む