花燃ゆ 総評二

制作統括土屋勝裕チーフプロデューサー。この人がどんな人かも、制作統括がどんな役なのかも詳しく知りませんが、とにかく一番権限を持った人物であることは間違いないでしょう。彼がインタビューで「有名な人物は予想がついてしまうし、興味がなければ観なくなってしまう。信長や秀吉のような歴史のヒーローよりも、歴史に名を残さなかった人たちの目線が今の時代は、共感を得る上で大事なのではないか」と語っています。

それについては別に問題ない事ですが、ではなぜ「歴史に名を残さなかった人たち」に、
歴史に名を残すような事をさせるのか?上記のように「歴史に名を残さなかった人たち」にスポットを当てるのであれば、歴史に名を残さないような描き方をするべきで、「歴史に名を残さなかった人たち」が「歴史に名を残した人たち」を押しのけて、グイグイ前面に出てくれば、視聴者は白けます。僕はその「歴史に名を残さなかった人」である杉文を主人公にする事に、何ら問題は無かったと思います。しかしその扱い方を心得ていなかった作り手が、勘違い・暴走・迷走を繰り返し、とんでもない作品を作り出してしまったのでしょう。

彼は「文の人生でわからない部分が多い」という質問に「ええ。だからこそ、自由に描けて面白いんです。大河ドラマは史実をベースにして創作する「フィクション(虚構の物語)」です。ドラマで楽しみながら、そこから、じゃあ、本当の松陰は?本当の久坂玄瑞はどういう人だったんだろう?と興味を持っていただき、歴史学の方に入っていってもらえたら…と。とにかく楽しんでいただきたい。文さんは有名な人ではないけれど、自由にドラマをつくれる、ということで言うと、ぴったりの主人公なんです。」と答えています。

考え方が全く間違っています。本当の松陰を本当の久坂を描く気ははじめから無かったようです。「フィクション(虚構の物語)」と言い切っています。よくあれが史実と違う、ここが史実と違うという批判に「ドラマだから」「小説だから」「マンガだから」と開き直る人が多いのですが、実際そのとおりで歴史書や教科書ではないのですから、ある程度のエンターテイメント性を持たせるために創作が必要です。しかしそれにも限度があります。
作品の構成上仕方なくであったり、時間的に端折った部分だったり・・・。史実に沿うように作った作品は、史実に沿わなければならないのです。謎の部分であったり、諸説ある部分を創作するのを誰も怒らないでしょう。ですが周知に事実を違った風に描くべきではない。そうでなければそれは「ファンタジー」と呼ばなくてはならないでしょう。

最近はやりの「信長のシェフ「信長協奏曲」「JIN-仁-」など、史実をもとにしながら、パラレルワールド的な時代劇がありますが、それはそれで視聴者も「史実と違う」と怒る人はいないでしょう。「史実と違うからバカらしくて観れない」という人は観ないわけですし、「史実と違うけれど面白そう」だと思う人は観るわけです。僕も上記のドラマは観てました。

でも、歴史ある「NHK大河ドラマ」に視聴者は史実に近いものを求めているわけで、上記のようなパラレルワールドを求めているわけではない。そういう作品と同じ感覚で作ってはいけないのです。実際にそういうドラマしか作ってこなかった人達ですから、その感覚が無かったのかもしれませんね。

スポーツ選手が世界戦に望むとき、「日の丸」を背負って戦う重圧を感じるそうです。「日の丸」を背負うとまでは言いませんが、一応国民的ドラマである大河を任されたなら、その数パーセントでもスポーツ選手のような気持ちをもって欲しかったものです。

総評3に続く。

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