花燃ゆ 総評三

さて、今回の脚本家は当初二人でした。

殆ど歴史モノを書いた事の無い大島里美と、NHKで短編時代劇を何度か描いている宮村優子。何故、脚本家を二人にしたのか?脚本家が各話を書き分けるという意味不明の体制を取っています。素人考えですが、主人公一人とってもそれぞれの脚本家の人物像があるわけで、脚本家が各話を書き分けるとなると、主人公一人の行動に辻褄が合わなくなるでしょう。一話完結のアニメの脚本ならいざしらず、なぜこの体制にする必要があったのか?
考えられるのは一人じゃ出来ないら・・。

何故出来ないのか?忙しいからか、本人のスキルが無かったからか?とにかく一人で出来ない者同志を二人集めたって出来るとは思えない。二人を選んだのが誰だか知らないが、歴史モノのドラマを舐めてたとしか思えません。
やはり歴史モノを描くということは、脚本のプロであろうと、膨大な資料を読まなければならないわけで、幕末の歴史を全く知らない人間が、簡単に書けるとは思えません。

脚本家がダメだ、脚本がカスだと散々言ってきましたが、ある意味かわいそうな事だったのかもしれません。ごく普通の中学生の前に六法全書を積み重ねて、これについて要約したレポートを書けって言うようなもの。出来るわけないのです。途中から参加した金子ありさも、殆ど歴史モノを書いた事の無い。最後交代した小松江里子も、天地人で批判された人。何の為の交代だったのでしょうね。

別に彼女達に才能が無いとは言ってません。別の分野ではすばらしい作品が書けるのでしょう。調べてみればそれぞれ観ていたドラマもありました。一流野球選手にスポーツだからって、フィギュアスケートをさせるようなもの。出来るわけないのです。

さて今回の「花燃ゆ」は、原作なしのオリジナルドラマですが、仮に原作があったならもう少しマシなものになったでしょうね。先程の例でいえば、六法全書を要約した一冊の本を渡して、その本について要約したレポートを書けといったら、もっとマシなものが出来るでしょう。それと同じです。原作無しって実は「歴史そのもの」が原作なわけです。
出来るわけないのです。

まあそういった出来るわけない状態の中、「花燃ゆ」はスタートしたわけですね。

総評4に続く

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